戦中の一般家庭の生活レベルは?
ふとテレビを見てたらその局のスペシャルドラマのCMをやっていまして、それが目に付いた時に疑問に思ったコトがあります。
そのドラマは戦後間もなくの時代で、その主人公は軍隊から復員して教師になるっていう物語のようなのですけど、その主人公が久しぶりに家に帰ってきた時に、やっぱりお祝いですから豪勢な食事が出てきていたワケです。
でも豪勢と言ってもいまの一般家庭よりはすごく貧相で、お赤飯がお椀に半分ぐらい入った程度だったんですけど、でもその弟か子供かがですね、それを見た瞬間飛びついて顔全体で香りをかぐようなシーンがあったんです。
つまり、お椀半分のお赤飯程度でもとてつもなく豪勢な料理になるという、普段はそれぐらい貧しい生活をしているっていう描写なワケです。
まぁそのドラマを見たワケではありません、というかまだ放送していないのでしょうけど、でもこういうシーンって実は探せばいろんなところでけっこうありますよね。
戦中の日本は戦争によってとってもまずしくて、お米もまともに食べられなかったとかいうシーンです。
例えばあの有名な『はだしのゲン』でも、大切に蓄えているお米がふとしたコトで1粒だけこぼれ落ちたときに、本当にその1粒を巡って兄弟ゲンカをするっていう描写があります。
それぐらい普段はお米を食べていないという表現ですよね。
多分これだけに限らず、日本の戦中や終戦直後のドラマとか漫画とかアニメって、こういう表現が非常に多いんじゃないかと思います。
だから、普通に「戦中の一般家庭はどんな生活をしていたのでしょうか」と想像すると、多くの人は、大変貧しい生活を強いられているっていうイメージを持っているのではないでしょうか。
どんな家庭も食べるモノに苦労せずに裕福な毎日を送っていたと思う人はあまりいないと思います。
現代日本は、いまは経済が余り良くないとは言われていますが、それでも平均的な一般家庭・中流家庭の生活っていうのは毎日白米を食べるコトに苦労している人なんてイメージは全くなくて、たまに外食行くぐらいの余裕はある、休日にはショッピングや旅行だって出来るのが現代の中流家庭のイメージとしては普通でしょう。
かなり戦中の平均的な家庭とはイメージがかけ離れている、現代から考えればかなり悪すぎるイメージがあるのが戦中の一般家庭なのではないでしょうか。
しかし実際はどうなのでしょうか。
ちょっとやえは疑問に思うのです。
もちろん戦中の家庭の中でも、『はだしのゲン』のような家庭が無かったとは言いません。
明日のお米を心配するような家庭だって、それは無かったとは言えないでしょう。
現代だってホームレスとかいるワケですから、そういう家庭の存在を一切否定するモノではありません。
でもですね、それが「平均的な」「一般の」「中流家庭」というモデルケースなのかどうかというのは、ちょっと考える必要があるのではないでしょうか。
例えばですよ、戦中のお話で有名な『かわいそうなぞう』のお話があるじゃないですか。
空襲によって柵とかが壊された場合に体の大きな猛獣が暴れ始めたら大変だというコトで、その前に殺処分しろとの命令が下り、本当に殺してしまっていいのかと悩むという、飼育員と動物園ファンと動物との人間ドラマを描いたお話です。
かなり有名なお話ですからご存じの方も多いと思うのですが、しかしふとちょっと立ち止まって考えてみてください。
これ逆に言えば、まだ国民は動物園に足を運ぶぐらいの余裕はあったというコトなのではないでしょうか。
また同時に、動物を殺すのは可哀想だと多くの国民から殺処分反対の陳情が多かったとするお話もありますが、これだってもし自分が明日の食料さえ心配するような生活を多くの人が送っていれば、動物がどうこうされるコトなんかは構っていられなかったのではないでしょうか。
むしろそれで自分に食料がまわってくるならその方がいいと、それぐらいは思うのではないでしょうか。
そもそも動物園っていうモノが運営でき、その飼育員の飼育員として働けている状況があるワケで、それは多くの一般国民が動物園に足を運ばなければ運営が出来ないのですから、戦中でもそれぐらいの余裕がある家庭も少なくなかったというコトをこのお話は指し示しているのではないかとやえは思うのです。
もちろんひとことで「戦中」と言っても、状況によって変わってくるでしょう。
たった一年で戦況なんてころっと変わりますからね。
でも今日言っておきたいのはですね、むしろ「戦争中は国民全員が貧しい暮らしを政府や軍によって強いられていたのです」というような、事実ではないと思われるコトを半ば事実として流布されている現状に疑問があるというコトを言いたいのです。
漫画とかドラマとか、それは演出上特に貧しい家庭をたまたまピックアップしただけだという言い訳もできるのかもしれませんが、しかし見るモノ見るモノ全てがそうであったら、やっぱりイメージとしては「戦中は苦しい家庭が一般的だった」と思ってしまいますよね。
そしていつの間にかそれが事実化してしまうのです。
事実と違うコトが事実化してしまうのです。
ですからまぁ今日のやえのお話だけで戦中も普通だったと断言するつもりは毛頭ありませんが、でもちょっと疑ってみてください。
多分冷静な目で見ればこういう事例ってけっこうあると思うんですよ。
なぜか未だに「戦争中は暗黒の時代だった」と言うのが正義みたいな風潮があるワケですが、しかし戦争中は戦争中でも国民は娯楽や楽しみなければそれなりの長い年月を過ごすコトなんてできない、国民が我慢できなくなった時こそが戦争の終わりなのですから、ずーっと暗黒時代だったと言ってしまうのは違うのではないのでしょうか。
そしてそれが高じて「だから戦争は一切を否定しなければならないんだ」という極端な論調になるのですから、そんな論調に利用されないためにも、事実は事実として受け止めなければならないと思います。
戦争は最後の手段ですが外交の一手段であり国益的にも全否定するモノではありませんし、戦争をすれば必ず国民が一方的に過大な犠牲を強いられるワケでもないのです。
だからこそ、事実は事実として冷静に受け止めなければならないハズなのです。
また戦中のお話で何かありましたら、ここでご報告したいと思います。
ディスカッション
コメント一覧
まあ当然立場にもよるでしょうが、当時海軍の通信兵で鳥取にいた池波正太郎氏の随筆に
東京が3月10日に
米陸軍の航空攻撃で焼け野原に成った後でも
浅草にほおずき市のお祭りが立ったのを聞いて
『ああ、これなら日本は大丈夫だ』と、思った事や
阿川弘之氏やその他の戦記物を書いてる皆様の
著作を読むとテレビドラマの様な極端な事は
あまり一般的では無いようですが。
貧乏な家にも配給は平等だった様です
変わった所だと、古今亭志ん生や、三遊亭圓生の自伝には当時の食糧事情や満州に渡って生死紙一重の状況の中ながら多少コミカルに描いています
(空襲の時に取りあえず酒の一升瓶抱えて逃げたり露西亜兵に喧嘩を売ったり)
また、北大路魯山人は国民が配給等で苦労をしているのに、なんで刑務所に入ってる受刑者は三食丸々苦労なしで食べてるんだ。と描いてます。
ちなみに、ドイツのベルリン動物園では
ベルリン大攻防戦の直前まで開園していたのですが、
市内にソ連軍がなだれ込んできたときに
動物園も破壊され、本当に猛獣や象が市内に逃げ出して
結構凄いことに成った様です。
ついでにイギリスではドイツの通商破壊戦で、一時食料が後数週間分にまで追い詰められた事がありましたが
あまりテレビではやりませんね。
すみません。さっきのコメントの最後の一文は意味が繋がっていませんね。。。
現在の一般イメージとしての『戦争による食糧難』は、戦後の混乱期の印象が色濃く反映しているんじゃないか。と言いたかったんです。
内田百閒が戦中(昭和20年7月)の食糧事情を日記に記しています。
氏は海軍機関学校を勤めたほどですし、終戦間際には日本郵船で嘱託として働いていたので、比較的恵まれた都市生活者としてひとつの基準になるのではないでしょうか。
リンクしたサイトで原文とあわせて解説付きで紹介されていたので、参考にしてみてください。
確かに米を食べる頻度は多くはないものの、終戦間際でもぶどう酒やビールもたまには飲んでいたようです。
このような状態をどの程度不自由(不幸)と考えるかは人によって分かれるところでしょうね。
とは言え、氏は食べることに不自由していたとして日記にまで克明に食糧事情を記していたのですから、戦前や戦時初期と比べると当時の人間でも不自由さを感じていたのは事実だったのでしょう。
個人的には戦後の混乱期の方が治安の不安定と共に一番食糧事情が悪かったような気がしています。このあたりのイメージが戦争と結びついているのが一般的ではないでしょうか。
実例は山本夏彦(故人)がエッセイで度々挙げられてますね。
はじめまして。以前某小泉首相のページのリンクから読んでいたこともあったのですが、とうとうこうしてブログランキングに進出されたのですね。おつかれさまです。
今日の記事、山本夏彦の「戦前真っ暗史観」を思い出しました。当時若者だった氏によればそんなに何年もの間闇みたいに社会が暗かったわけじゃない、サヨクは特高に追われていたからそりゃ真っ暗だったろう…みたいな文章で、読んだ時には目からウロコでした。こういうコラムがもっと読まれていればいいのにと思ったくらいです(まあ、あの文章はわかるようでわからない時もありますし、好みがかなり分かれるでしょうが)。
なので、やえちゃんの言いたいことはわかります。
で、実例は挙げてくれないのね。
やえたんの脳内妄想って事?
わざわざ記事にするようなネタかな