五輪招致、「福島の人々への配慮が足りない」と言うのは論理的思考が出来ないと暴露している自己紹介

 今日はこちらの記事です。
 

 汚染水説明理解されず 五輪招致 海外記者「失望した」
 
 「水や食べ物は安全」「住民は普通に生活している」「東京は全く問題になっていない」――。招致委は8月下旬、想定問答を作った。政府が3日、計470億円の対策を発表すると「これで説明できる」と余裕も見せていた。
 だが、現地初の記者会見で海外メディアの質問6問のうち4問が汚染水対策に集中し、竹田恒和理事長は答弁に困窮。「厳しい。この説明では納得してもらえないのか」。招致関係者は国内外の温度差を感じた。
 会見に出た海外の記者は「失望した」「意図を理解しない答え」と突き放した。東京と福島の距離を強調する姿勢に「東京だけ安全ならいいとも聞こえ、福島の人々への配慮が足りないのではないか」との声もあった。

 
 ひどい記事です。
 まぁ朝日新聞ですからひどい記事ならお手の物なのかもしれませんが、今回はいつもとベクトルの違うひどさです。
 
 つっこみどころ満載でアレなんですが、まず一番ひどいところは「東京と福島の距離を強調する姿勢」に対しての答えとして「東京だけ安全ならいいとも聞こえ、福島の人々への配慮が足りないのではないか」というモノが成り立っているとしてしまっている書き方です。
 しかし実際にはこの「東京だけ安全ならいいとも聞こえ、福島の人々への配慮が足りないのではないか」という返答は、議論をごちゃ混ぜにして、とにかく相手を攻撃するコトだけを目的とした言葉でしかありません。
 というのも、そもそもこの場は「オリンピックの開催地の選定場所」であり、その「安全なオリンピック開催のために」という理由のために「東京の安全性」を問うているワケですから、この際「福島の人々への配慮」というのは「オリンピック招致の場としての東京」という目的には一切関係がないんですね。
 注意して欲しいのは、これが「福島の人はどうでもいい」とかいう意味ではないというコトです。
 これこそが議論をごっちゃにするモト、もしかしたら意図的にそう言っている人もいるのかもしれませんが、「オリンピック開催地としての東京がふさわしいかどうか」の問題と、「福島の人々の心情」の問題は、論理的にリンクするコトのない全く関係のないお話でしかないのです。
 この議論の本質を、主題をキチンと確認し、その主題についての返答をしてこそ議論だという理論的理屈をシッカリと認識してほしいのです。
 
 科学的見地から、放射能の問題は、もっと言えば「放射能の害」は、距離によって完全に緩和されます。
 極端なコトを言えば、アメリカは広島に原爆を落としてもアメリカ本土には影響がないから落としたワケですし、チェルノブイリだって放射線濃度は全世界である程度高まったとかいうデータを見たコトある気がしますが、他国にまで直接人体の影響がでるほどの影響が出たとは科学的に認められていません。
 少なくとも「遠ければ遠いほど影響が減っていく」というのは、だれしもが認める科学的事実でしょう。
 こう考えたら「東京は福島から遠いから問題ない」という説明は、「科学的見地に基づいた説明」と言えるワケです。
 しかしこれに対して「福島の人々への配慮」という言葉は、心情の問題であって、「科学的見地」とはまったく次元の違う物の見方です。
 ここが「議論をごちゃ混ぜにしているモト」なのです。
 もし東京側の説明に反論するのであれば、科学的見地からの反論をしなければなりません。
 科学的見地からの反論とは、例えば「福島で検出されている放射線はこれだけで、過去のデータから計算すれば東京までの距離ならば人体に影響が出る範囲だ」とかです。 
 これでしたら「議論」ですから、もしそう言われたのであれば東京側はさらに科学的見地からの反論が必要になるでしょう。
 繰り返しますがこれが「議論」なのです。
 科学的見地からの意見に対し、人の心情を持ち出すのは、こんなのは議論と呼べるシロモノではありません。
 
 まして最初に言いましたように、これは「オリンピック開催地の選定の場」です。
 ですからこの場に参加している日本代表の人達も、日本政府として来ているワケでも、原発事故の責任者として来ているワケでもありません。
 あくまで「東京でオリンピックを開催するコトの提案」に来ているのです。
 原発や放射能処理に責任を負って来ている人達ではありません。
 総理も都知事もそうです。
 今回の出席は、あくまで「東京を開催地にするため」の立場での出席なのです。
 むしろもしこれが「行政府の長としての出席」であれば、単なる民間人(中には王族もいるそうですが)が一国の首脳にプレゼンをさせるなんて行為になるワケで、とんでもない失礼をさせているコトになるでしょう。
 そうではなく、政治や外交を離れた「オリンピックのため」に、全ての人はその場に集まっているのです。
 ですから、東京の放射能のコトを心配するコト自体は、「オリンピックの安全のため」という理由がありますから質問して当然ですが、しかし「福島への配慮」なんてモノはオリンピックには一切関係のないお話でしかないのです。
 それは政府や東京電力が考えればいいコトです。
 「オリンピック招致メンバー」にも、「オリンピック委員会」にも、何ら全く一切合切無関係のお話なのです。
 
 卑怯です。
 この一言しか言いようがありません。
 弱者を楯にとって反論を許さぬという、この世で最も卑怯な「攻撃」のひとつが、これです。
 論理的思考も、科学的思考も出来ないまま、単に相手を攻撃するためだけに弱者まで持ち出して、言葉の上だけで相手を貶めようとする行為。
 これを卑怯と言わずして何と呼ぶのでしょうか。
 
 そしてなにより、これをそのまま国内に垂れ流す朝日新聞もさすがというか、いつも通りとしか言いようがありません。
 どこまで日本を貶めれば気が済むのでしょうか。
 新聞であれば、本当にオリンピック委員や外国プレスがそう言ったのであればそれを伝えても構いませんが、しかしこの構図はキチンと説明する必要があるのではないのでしょうか。
 論理が破綻しているんですからね。
 これだけの記事ではタイトルも含めて、むしろ朝日も「失望している」と助長しているようにしか読めません。
 この論理破綻を指摘しないまま、別次元のお話を無理矢理くっつけて記事にして、何らかの結論を誘導している姿は、もはや「事実を伝えている」とは言い難い行為でしょう。
 
 日本人でも外国人でもマスコミでも、論理的思考が出来ず科学的思考も出来ず議論をごっちゃにする人に対しては軽蔑するしかありません。