政治家と国民と民主主義

 やえは常日頃、口を出さないのであれば政治は分からないままでいい、口を出したいなら分かってから責任を持って主張をすべきだ、というコトを言っています。
 そしてそれは、やえ自身にも当てはまります。
 当然ですよね。
 これもいつも言ってますが、やえだって全ての政治のコトを知っているワケではありませんから、それでも必要な時はいろいろ調べて勉強しますし、そして分からないコトがあれば分からないといい、分からないままに持論を展開するようなコトはしないようにしています。
 もっと言えば、分からないコトには触れないワケです。
 
 こういうコメントを頂きました。
 

非常に不思議なのは、やえさんもシンさんも「経済は苦手」と自称しながら、政府の経済政策を「正しい」と言っていることです。
 
苦手なら正しいかどうか分からないのでは?
なぜ正しいと言われるのか。その根拠は何なのか。

 
 ちょっと違います。
 やえは政府の経済政策を「正しい」とは言っていません。
 これは多少言葉のニュアンス的な問題になってくるのですが、それが経済学的に正しいのかどうかというのは、やえはその是非を表明したコトはないかと思います。
 たいてい「やえは経済が苦手なので分からない」というようなコトを言っていると思います。
 その上で、政府が実行しようとしているコト、実行しているコトを、こと経済系に関しては大っぴらには反対や批判はしていません。
 この辺から「政府の経済政策を「正しい」と言っている」と感じているのかもしれませんが、実際のところはちょっと違うんですね。
 
 やえはその経済政策を「正しい」と思っているのではなく、政府だから、いえ与党だから信頼している、という言い方が近いでしょうか。
 信任している、という言い方もあろうかと思います。
 やえはその政策が政策として正しいとは思っていない、未だ疑問符が付いている状態ではありますが、しかしいくら疑問符が付いていたとしても現実は待ってはくれません。
 つねに時は動き続けています。
 そうした時それをどう判断するのかと言えば、まぁ「国民の選択によって選ばれた議員が集まって議論した結果」なのですから、ある程度は信頼して、選挙によって信任しているのですから、分からない以上は是認しなければならないでしょう、という感じなのです。
 
 言い換えるのであれば、「経済学的に正しい」と言うのと、「政治的に正しい」と言うのとは違うという意味です。
 経済のお話ではありませんが例えば民主党が政権を取ったのは、それは国民の選択ですから政治的にはもちろん正しいワケですが、しかし実体的な国民生活にとっては完全に失敗だったワケです。
 で、やえは、民主党が政権を取ったら国民生活的にはダメだと分かっていた、やえの中ではキチンと理論化できて説明ができるぐらい理解していましたから、ずーっと昔から警鐘を鳴らしてきました。
 しかし分からないモノまでを主張するっていうのは無責任ですよね。
 ですからやえは分かるコト、理解しているコトであれば、やえの責任のもとにこうやって主張させてもらっているのですし、逆に言えば理解出来ないコトは公の場では言わないのです。
 このように、政治的に正しいというだけでは、それはやえの思想の問題とはまた別次元のお話ですから、やえの言葉としては敢えて触れません。
 実際正しいと思っているのと、政治的に正しいのとでは、確実な違いというモノがあるワケです。
 
 ここで注意すべきは、あくまでこの感覚というのは「やえの中だけのお話」というコトです。
 結局この感じ方というのは、やえがやえの中だけで流れゆく時間で「抗わない」とした理由として、「国民に信任されている与党の決定だから」というモノがあるというコトだけなんですね。
 ですから、政財政策の政策的中身について正しいか正しくないかという部分については、「政府与党が正しいと言ってるから」というモノは論拠にはなりません。
 「政府与党が言ってるから」というだけでは「その政策が正しい」とは言えません。
 それはそうです。
 これは経済に限らず全てそうです。
 本来政策や思想の中身は、誰が言ったのかではなく、何を言っているのか、が一番の本義なのです。
 説得力という部分については誰がという面も小さくはないのですが、本義で言えば中身そのものが一番重要なのは当然です。
 ですから、「与党が言ってるから」という論拠においては、少なくとも「経済学的(もしくは実体的な経済的に)に正しいとは言えないのです。
 ただし、この世の中の全ての現象に対して1つの答えをいつもいつも出せる人っていうのは、そうはいないでしょう。
 人には得手不得手があります。
 ですから、そういう部分に関しては、もちろん納得するまで自分で考えるというのも一つの手ではありますが、流れる時間を止めるコトは誰にも出来ない以上は、「国民が信任した」国会議員の議論に委ねるというのも、それは民主主義としてはあって良い手法なのではないのでしょうか。
 それが「政治的に正しい」と、「自分を」納得させる理由なのです。
 
 やえが理解して自分の考えを持っているというコトと、やえが是認しているコトとは、ちょっと齟齬があります。
 自分の考えを持っている場合は、それはやっぱり自分の考えに自信があるからであって、もちろんそれは間違いを指摘されても絶対に考えを曲げないという意味ではありませんが、指摘されるまでは間違いはないと思っているからこそそれが正しいと考えているのですから、だからこそこうやってネットでもって自らの主張を世に問うているワケです。
 それは必ず自分の考えが確立しているからです。
 しかしやえはこの世のあらゆる森羅万象までを世に問うているワケではありません。
 それは無理なお話です。
 その中においては経済のお話もあるってだけなんですね。
 分からないから世に問わない、主張しない。
 それは当たり前のコトだと思います。
 そしてこれは誰しもが普通に行っているコトではないのでしょうか。
 自分が分からないコトは全部反対、なんて言ってたら、多分集団での社会生活なんて出来ないと思います。
 
 「世に問わないから反対」では決してありません。
 同時に、「反対しないから賛成意見を持っている」というコトもありません。
 それはただ表明しないというだけであり、また民主主義政治においては、ある程度国会議員に選挙によって政治を託しているワケですから、「分からないコトは任せた」というコトでもあるワケです。
 なにより決して「政治家の決めたコトに一切文句を言うな」というコトでもありません。
 最初に言いましたように、反対意見があるなら堂々と言えばいいですが、分からないのであれば分からないまま口を出すべきではない、まして分からないままにデタラメな批判をするモノではありませんってコトなのです。
 やえは分からないまま、ただイヤだからっていう理由だけでここで主張はしたくないのです。
 そんなのは他人様に聞かせるようなお話ではありません。
 そりゃやえだって増税に心から賛成で、8%取られようが10%取られようが何とも思わないってワケじゃないですよ。
 やえだってイヤですよ。
 お買い物する時、ちょっとでも安い方がいいですよ。
 完全にやえの個人的な感覚だけで言えば、そんなのは当然です。
 政治家だってそうでしょう。
 でもそれは「公論」じゃないですよね。
 公論じゃないコトは公には問わない。
 それは本来当たり前のコトなんじゃないでしょうか。
 
 特に民主主義政治においては、もし「自分が100%納得できなければ全ての案件に反対する」って言うのであれば、それはもう自分が立候補して議員になるしかありません。
 立候補しないのであれば、ある程度の妥協は必要です。
 その上で、やえは公論として主張できるところはします。
 同時に、できないコトはしません。
 私論は公にするモノではありませんから。
 結局それだけのコトなんですよ。
 それは特に特別なコトだとは思っていません。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、公論を応援しています。