国民が求めているからこの支出額

 確か麻生副総理だったと思うのですが、日本の国債はゆうちょなどをはじめとしたほぼ全てを国内で賄っているので破綻するコトはない、というようなコトをおっしゃっていました。
 ごめんなさいちょっと詳しくリピートできる自信がないので詳しくは書きませんが、その時やえは、なるほどですねと納得した覚えがあります。
 つまり、確かに日本の財政は赤字が続いているワケですが、しかしそれをもって即破綻するっていう論拠にはならないというコトですね。
 やえはそれはその通りだと、いまのところ思っています。
 
 でもちょっと、財政問題について視点を変えて見てみたいと思います。
 これも、こういう言い方をすると国民からそっぽを向かれるので政治家も評論家も誰も言わないのですが、でもこういう見方って本来あってしかるべきなんだと思うんですよ。
 特に民主主義なんですから。
 民主主義って、選挙で選んだ政治家に全てをほっぽり投げる制度なんじゃなくて、国民も等しく責任を負いましょうっていう制度なのですから、こういう視点・見方も必要なんだと思います。
 
 現在、国債を発行しなければ日本の予算は支出を賄えない形になっていますよね。
 つまり、税収だけでは支出の全てをカバーしきれないワケです。
 と、普段ならこういう見方になるんでしょうけど、これって逆からの視点にするのであれば、「本来これだけ必要なのに、税法上これだけしか収入を得るコトが出来ない」とも言えるワケです。
 収支を起点にするか、支出を起点にするかです。
 「収支がこれだけしかないのに、こんなにも支出をするのか」という言い方なのか、それとも「本来これだけ支出しなければならないのに、これだけしか収支がない」という言い方をするのか、です。
 どっちも「お金が足りない」という意味では同じですが、受ける印象は随分変わるのではないのでしょうか。
 
 何が言いたいのかと言えば、日本の支出は、それは国民がそれだけ出せと望んでいるからこそそれだけの支出になっているんじゃないかっていう視点、というか問題提起をしたいのです。
 
 なんかこう、この件についてはマスコミも国民も他人事じゃないですか。
 財務省が勝手に作った予算書だと、悪の組織の財務省が自らの利益のタメだけに作っている予算書だと、そう言わんばかりな感じで言ってるじゃないですか。
 まぁ悪の組織とか自らの利益のタメというのはともかくとしても、どこかそんな雰囲気で、他人事のようにこの予算の、特に支出の部分については語られるコトが多い気がしてなりません。
 でも予算、というか、実際に使われているお金ですが、それは本来国民のためのモノなんですよ。
 財務省の省益のためのモノだと言ってしまうのは陰謀論が過ぎるでしょう。
 そうではなくて、なぜそれだけの予算が組まれているのか、予算額があるのか、そして実際に税金が使われているのかと言えば、それは国民がそれだけ必要だと求めているから、そして実際にその額のお金を使っているからなのです。
 
 もちろん一切の無駄がない予算だと言うつもりはありません。
 全てが全て100%の国民が納得する予算だと言うつもりは毛頭ありません。
 ただ、100%の国民全てが納得する予算なんてあり得ないですし、無駄だって見方によってはそれが本当に無駄かどうかは意見が分かれるモノもありますし、その人にとっては必要な予算でもある人にとっては全く無駄な予算っていうのも少なくないでしょう。
 無駄無駄と騒ぐだけ騒いで一切なんの意味も無かった民主党の事業仕分けなどを見ても、それが本当に無駄な予算案なのかどうかっていうのは、一言では語れない様々な見方や事情があるワケです。
 そうした中で全体としての包括的なモアベターな予算として毎年出されるのが予算案なのであって、そのだいたいの額自体はやっぱり国民が望んでいる額だと言うしかないワケです。
 国民のための国家の運営のために予算があるのですからね。
 
 となれば、こういう見方が成立するハズです。
 「これだけの額が必要だと国民が望んでいるのに、国民自身がそれだけの額を出したくない」と言っている。
 と、こういう見方もできるんじゃないでしょうか。
 
 こういう見方をすると、財政と予算に対する印象ってガラっと変わってきますね。
 すごい悪い言い方をするのであれば、「自分は1万円のフルコースを食べたいけど、5000円しか払わない。あとの5000円はお前が借金して補填しろ」と、そういう言ってるんだという表現すら出来てしまいます。
 そうでなくても、いくら破綻にはいまは直接結びつかないと言えども、赤字国債を発行している状態が良い状態とは決して言えないのではないのでしょうか。
 「必要な分は必要な額だけ徴収する」っていうのは当然のコトでしょうし。
 よって、必要な額をキチンと出すという「正常な状態」に戻すにはどうすべきなのかっていう視点も必要なのではないのでしょうかと思うのです。
 
 まぁ今日のところは、こういう見方もあってしかるべきだというコトを考えてほしいと思います。
 役人や政治家だけを叩いて自分だけは何も悪くないと言うのは、民主主義の理念に反しますからね。
 結局収支が足りないのですから、ではもっとお金が入るようにするか、それとも出る分を減らすかするしかないのです。
 そしてなにより、それらは全て国民の生活に直結する問題であり、全ての国民は他人事なのではなく、他人が勝手にやっているコトなどではなく、自分のコトとして考えるべきでしょう。