政治家の行政に対する「関与」

 マスコミは理解した上であえて印象操作をしようとしているのでしょう。
 ちょっと一言言っておきたいコトがあります。
 
 いわゆる政治家の「関与」ってどういうコトだと思われますでしょうか。
 こう表現すると、けっこうダークな印象を持つ人の方が多いと思います。
 多くの人にとっては「口利き」とか「斡旋」とか、そんなイメージを持つ人の方が多いと思います。
 
 しかし「関与」と「口利き」は違います。
 もっと言いましょう。
 特に議会制民主主義において、政治家が行政に口を出すというのは、正常な状態とすら言えます。
 
 逆に考えてみましょう。
 どういう状態が民主主義において悪なのか。
 それは「とある介入によって、法や正規の手続きに基づかない方法によって行政の決定がなされる」のが悪なのです。
 こう書けば当たり前だと思いますよね。
 しかし、いわゆる「関与」はこれに該当しないのです。
 
 なぜか。
 それは、悪なのは「介入」ではなく「法や正規の手続きに基づかない決定」だからです。
 正しい法に基づき、規定の手続きを経て決定を得られれば、それは当然適法でしょう。
 半分言葉遊びな感じになっているのですが、それは当たり前のコトを当たり前として言っているからです。
 正しい法と正しい手続きを経れば、正しい結果が出る、当たり前のコトです。
 
 もっと言いましょう。
 「介入があっても、法や正規の手続きに基づいた決定」なら、それは正しい決定です。
 ここでちょっと納得できない人が出てくるかもしれませんが、ではここで言う「介入」とはどういうコトなのかを考えてみます。
 それは、民主主義における政治家とは、どういう存在なのかを思い出してみる必要があります。
 すなわち政治家とは、国民の代表です。
 
 行政に対して政治家の介入を一切許さないという社会は、それは「行政が常に1分の隙も無く常に正しい」という前提にのみ成り立つ社会です。
 では聞きましょう。
 果たして行政は、すなわち官僚は、常にパーフェクトに正しいと断言できるでしょうか?
 
 そもそも大臣制とは、それが成り立たないからこそ採用させている制度です。
 最終的には選挙によって国民に選ばれた政治家が行政の上に立つコトで、国民こそが行政の最終的に責任を負うというのが、現代の民主主義ですよね。
 特にこれは議会制民主主義においては顕著です。
 大統領ひとりが選挙で選ばれた政治家なのではなく、大臣の多くも政治家であり、また内閣と与党がほぼ一体だからこそ、より国民の代表たる政治家が行政に影響を与えられるというのが議会制民主主義なのです。
 
 政治家の行政への関与は、つまり「間違っているかもしれない行政の姿勢を正す」意味を持っています。
 みんなよく「お役所仕事」って言うじゃないですか。
 でもあれは国民のための行政としては不適切なワケで、そこに国民の代表たる、言い換えれば国民そのものである政治家がメスを入れて正常な状態に戻すというのが、政治家の正しい行政への関与だと言えるワケなのです。
 
 もちろん政治家に関与によって「法や手続きを曲げて決定が下った」のであれば問題です。
 それは断罪されるべきです。
 つまりこれは、「関与」だけでは善悪を断じるコトはできないというコトなんですね。
 あくまで善悪は「法や手続きに合致しているかどうか」で判断されるモノです。
 
 ではこういう場合はどう考えるべきでしょうか。
 「政治家からの問い合わせがあったが、法と手続きを厳格に照らし合わせた結果、それは不採用となった」
 問題があるとは言えません。
 なぜなら、正しく法と手続きによって審査されたからこそ不採用になったワケなのですから。
 これを悪と断じる理由が存在しないのです。
 
 政治家は国民の代表であり、国民そのものなのです。
 ここを無視してはなりません。
 問題ない行為を悪かのように印象操作をしようとするマスコミこそが、最も民主主義の敵だと言うしかないでしょう。