「事故が起こる可能性がゼロではない」は駄々コネと同じ

2012年4月15日

 今日の更新は、コメントのレスを書いていたら思いの外長くなってしまったので、これを本更新にしてしまおうという、手抜き更新です。
 いや、手抜きじゃないんですよ。
 長いレスをコメント欄に載せるのもアレですし、内容的にも「事故が起こる可能性がゼロではない」がいかにダメな言葉なのかを、これは原発問題だけに限らないお話しですから、どうしてもピンと来ない人は是非とももっと考えて貰いたいです。
 そもそもこんなモノを持ち出していては、議論にはなりません。
 そういうコトをですね、キチッとここは線引きしておかなければならないと思いますので、今日の更新は、最初はレスのつもりだったので呼びかけ系になってしまっていますが、ぜひとも最後まで読んでいただければと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 まずはいただいたレスを引用しましょうか。
 その記事はこちらです。
 

 >交通事故がゼロにはならないのに反対しないのは矛盾しているじゃないですか
 ・・・なんでそう思う?
 交通事故は保険に入るなり何なりで一応リスク対策はある。
 交通事故で大量の国民が非難しなきゃいけないこともないし放射能汚染で国土が使えなくなることも無い。
 そして大規模原発事故に対してのリスク対策は現状、何も無い。
 どう考えても比較対象にならんだろ・・・前から言ってるがなんで交通事故と比較する?
 どっちも0じゃないが被害範囲が桁違いだろ。

 
 だからですね、保険はこのお話には関係がありませんから、もう忘れてください。
 持ち出さないでください。
 このお話の出発点は「事故が起こる可能性がゼロではないから反原発するんだ」という主張からはじまっているのです。
 そして「反原発」という結論に対する論拠が「事故が起こる可能性がゼロではない」であり、つまりやえはこの論拠たる「事故が起こる可能性がゼロではない」というモノは“論拠にならない”というコトを言っているワケです。
 いいですか?
 今回のお話しにおいてはやえは、原発推進するべきとか、原発をやめるべきとか、原発の是非を言及しているのではありません。
 あくまで「それは論拠にはならない」というコトを説明しているのです。
 ここを勘違いしないでください。
 
 よく整理して考えてください。
 「事故が起こる可能性がゼロではないから反原発するんだ」は、「事故が起こる/起こらない」の2つで考えています。
 でも保険は「事故が起こる/起こらない」には一切関与しませんよね。
 保険があるから事故が起こる可能性が増えるとか減るとか、そんなコトはあり得ません。
 「事故が起こる/起こらない」には保険は全く関係のないお話しです。
 だからここのお話しには保険は関係がないのです。
 ですから、もう保険のお話しは忘れてください。
 いまの論点は「事故が起こる可能性がゼロではないから反原発するんだ」という主張に対してですから。
 
 その上で、「事故が起こる可能性がゼロではない」、これは「事故が100%起きないようにしろ」と言い換えてもいいワケですが、これは反原発の論拠にはなりませんよとやえは言っているのです。
 なぜなら、「可能性がゼロではない」「100%起きないようにしろ」なんていうモノはこの世の中には存在しないコトだからです。
 そしてだからこそ「事故が起こる可能性がゼロではない」であっても、人間はそれを利用しています。
 自動車もそうです。
 同じ人間が「「事故が起こる可能性がゼロではない」から原発は全廃しろ」と言いつつ、「「事故が起こる可能性がゼロではない」自動車を利用している」のは矛盾していると言っているのです。
 保険は関係ないですよ。
 あくまで「事故が起こる可能性がゼロではない」というモノを論拠にするのであれば矛盾していると言っているのです。
 保険は「事故が起こる可能性がゼロではない」という考え方には一切関知しない存在です。
 関係ないですよ。
 やえが言っているのは「事故が起こる可能性がゼロではない」と言うのであれば、それはダメですと言っているのです。
 
 この世の中にあり得ないコトを論拠にして結論を出すのは、それは卑怯な行為であり、詐話的手法です。
 「ドラえもんがなんとかしてくれると思ったから死体を遺棄した」のようなモノで、そんなモノは論拠にはならないという、そういうお話しです。
 「事故は100%起きない」という状態には絶対に出来ません。
 この世の中に100%はあり得ませんから。
 それなのに、それを条件にして結論を出そうとするのであれば、それはむしろ「理屈抜きで反対だ」と言っているのと同義なワケですね。
 だから卑怯なのです、詐話なのです。
 「選挙もなにもなく永世総理大臣にしてくれたらちゃんと働こう」と言うぐらい、卑怯な物言いなのです。
 それははじめから働く気なんてないでしょと、理屈なんて特に何も無くただ単に働きたくないだけだから無茶の要求を言って相手にボールを投げるフリをしているだけでしょ、パフォーマンスでしょと、そう言うしかないですよね。
 「事故が起こる可能性がゼロではない」は、そういうパフォーマンスなのです。
 駄々っ子なのです。
 
 いつも言ってますように、結論を出す、結論を主張するのであれば、論拠が絶対に必要です。
 その主張が正当かどうかの全ては論拠にかかっています。
 論拠が正しければその結論も正しいコトになりますし、論拠が間違っていれば結論も間違っています。
 結論だけではその判断は出来ません。
 論拠が全てです。
 だからこそ論拠が何よりも大切なのです。
 
 そして「事故が起こる可能性がゼロではない」という論拠は、論拠として機能していませんと指摘しているワケです。
 別これはやえが反原発という主張が間違っていますというコトを言っているワケではありません。
 もし、「事故が起こる可能性がゼロではない」という論拠以外にもっと正当性のある論拠があるのであれば、「反原発」という結論も聞くべき主張になるかもしれません。
 それはそうだと思っています。
 ただし「事故が起こる可能性がゼロではない」だけでは、まったく反原発の主張は、主張にすらなっていませんよと指摘しているだけなのです。
 今回のお話しについてのやえの立ち位置を間違えないようにしてください。
 
 「事故が起こる可能性がゼロではない」モノでも人間は普通に利用しているのです。
 これだけで十分に「事故が起こる可能性がゼロではない」が論拠にならない論拠になっていると言えるでしょう。
 人間は「事故が起こる可能性がゼロではない」以外の別の論拠でもって、それを利用するのかしないのかを決めているのです。
 原発も同じなワケです。
 原発を今後どうするかというコトは、「事故が起こる可能性がゼロではない」なんて空想論で議論するのではなく、もっと現実的な目線での論拠を積み重ねての議論が必要なのです。