問題を敢えてごちゃ混ぜにして強引に自論に引きずり込もうとする卑怯者

 未だにこの問題を理論的に理解できていない人がいるようですし、なにより橋下市長自身(あ、もう市長じゃないんでしたっけ)がおそらく理解しているけど敢えて問題をごちゃまぜにして煙に巻いて正当性を訴えるという卑怯な論法を使っているので、繰り返しこの問題を述べておきましょう。
 まぁ橋下氏が本気で理解していない可能性もありますけどね。
 その場合、もう救いようがないですが。
 
 橋下氏自身やその支援者は、いろいろな問題を全て適当にごちゃまぜにして、「ごちゃごちゃ言うなら選挙で決着を付けよう」という主張でこの問題を切り抜けようとしています。
 しかしこんなモノは、理論も理屈も知性もあったもんじゃありません。
 だってこれ、結局「勝った」か「負けた」だけで全てが決まるという、法律も民主主義も三権分立も全て無視して「勝てば官軍、すべてのコトを好きに出来る」と言っているだけに過ぎない、前時代的な本当に野蛮な理屈でしかないからです。
 確か橋下氏って弁護士でしたよね?
 まさか橋下氏は本気で、弁護士であるハズの知識を持ちながら、選挙にさえ勝てば立法も行政も司法も全て超えられるとでも思っているのでしょうか。
 もし本気でそう思っているのでしたら、よくもまぁいままで裁判できてましたねぇと逆に感心する勢いです。
 
 この問題は「勝てばいい」「落とせばいい」「選挙で白黒つければいい」という次元の問題ではないのです。
 なぜなら、例えば「行政官としては橋下氏の手腕は認める」のと「都構想には反対」は両立するからです。
 市長選挙というモノは行政官としての橋下氏の手腕に対する選挙であり、一方都構想への是非に対する選挙は議会選挙になるからです。
 都構想の是非は最終的には議会に決定権がある話なんですからね。
 いくら市長選挙を行ったところで、市長が誰になったからといって、議会に決定権がある以上、それは別次元の選挙でしかないのです。
 
 市長選挙は、市長の権限を誰に行使させるかを決める選挙です。
 決して「当選者の自由に条例を作る権利を与える選挙」ではありません。
 ここを勘違いしている人が多いんですよ。
 多分橋下氏自身もそうです。
 市長に当選したから自分が掲げるような条例を好き勝手出来る、と思っているのでしょうけど、現実は「法令がすでに定めている範囲内での市長の権限を行使できる権利」だけを市長選挙である市長に与えているだけなのです。
 ここをよくよく理解してください。
 市長には条例を定める権限はありません。
 市長選挙は、三権全てを含めた主張の是非に対する住民投票の場ではありません。
 市長権を超えた範囲まで公約に掲げるのは自由ですが、しかしそれはあくまでその候補者が勝手に言っているだけのコトであって、それを法的に担保するモノではありません。
 あくまで勝手に言ったコトだけであって、市長権を超える権限の行使は市長にはできませんし、もちろん議会の権のあるコトまでを市長が自由にできるワケでもないのです。
 ここを誤解している人が多いですね。
 
 おそらくこれは、国政と地方政治とでは政治のシステム自体が違うコトを理解していないところからきているモノだと思われます。
 つまり、国政の議院内閣制と、地方の疑似大統領制との違いです。
 議院内閣制は、立法府である議会と行政府である政府との距離がかなり近い制度です。
 総理大臣は国民から直接選挙で選ばれないコトにより、立法府に対する選挙で勝つコト=行政府を司るコトという図式が成り立ちますので、「立法府選挙≒行政府選挙」という図式になるワケですね。
 ですから、ある意味国会議員選挙は立法も含めた政策を訴えるコトも有効なワケであり、またその主張にも実効性が持てるのです。 
 その分行政権は大統領制よりもかなり権力の分散が図られていて、その辺でバランスがとれているワケですね。
 
 しかし地方政治は議院内閣制ではありません。
 議会と首長がハッキリと別モノの、それぞれが直接住民の選挙によって選ばれる、大統領制型の政治形態です。
 よってその選挙も、行政官に対する選挙と、立法官に対する選挙と、完全に分けられます。
 国会議員は立法官であると同時に行政官になるコトもあり得ます(大臣・副大臣・政務官)が、地方はそれはありません。
 首長で当選すれば任期中はずっと行政官であり、議員で当選すれば任期中はずっと立法官です。
 さきほど市長には条例を定める権限はないと言いましたが、しかし国会議員には法律を定める権限はもちろんあるワケですし、そして総理大臣は同時に必ず国会議員であるワケで、ここが国と地方の仕組みの違いなんですね。
 市長は市議会議員ではなく、この両者の立場は明確に別なのです。
 国政と地方政治は、このようにシステムの上からして全く違う制度を採っているのです。
 
 たまに今回のコトで「総理大臣と違い、市長には自発的な議会の解散権がないから(不信任案が可決したら議会の解散はできる)仕方なく自らが辞任したんだ」と説明する人もいるようですが、これはこの議院内閣制と大統領制とをごっちゃにしてしまっているのでしょう。
 議院内閣制の場合は立法府と行政府の関係が近く、総理大臣は議会から選出されるコトになっているので、そのカウンターとしての解散権を持っているんですね。
 しかし地方政治は、首長と議会議員は全く別の選挙で決められているので、それぞれが完全に独立した存在である以上、今回のように「議会が気に入らないから解散」なんて理屈で解散できないようにしているのです。
 それぞれどちらとも直接住民に選ばれているのですから、その意思を無視するコトはできないのです。
 また国政も地方も議会には首長の否定権を与えられていますが、これは議会という複数人数によって構成するより多様性のある権力=民主主義の理想に近い権力のあり方をしているので、一人しかいない首長=民主主義としては注意しなければならない権力者を監視する役目として、その否定権を与えられているのです。
 しかも議会からの不信任案の可決は、即座の首長の辞任を意味するモノではなく、不信任を突きつけられた本人が議会の解散も選択できるコトになっており、ここでも議会と行政とのバランスを取っているワケです。
 これが三権分立であり民主主義の仕組みなのです。
 
 ここの違いを理解していない人が少なくないワケです。
 国会議員を選ぶ場合、それは「この人へ総理大臣としての資格を与える」という意味合いも含まれるワケですが、地方議会選挙にはそれがあり得ません。
 市議町議村議区議はその任期中、絶対に市長町長村長区長にはなれないのです。
 市長町長村長区長は、市長町長村長区長を選ぶための選挙が別途必要なのです。
 よってその選挙も、それぞれ意味合いが異なって当然なのです。
 
 市長も市議会議員も、どちらも等しく民意の結果なのです。
 ですから、何度も言いますが、都構想の決定権は議会にあるモノであり、その是非を問うには議会の選挙によってのみ行われるのです。
 なぜなら、地方政治はそのように憲法法律によって、民主主義によって、定められているからです。
 
 ここをごちゃまぜにして、「とにかく選挙に勝った方が正義だ」と言ってしまうのは、もはや民主主義の否定としか言いようがないでしょう。
 卑怯者の発想です。
 橋下氏はそれを地で行こうとしていると言わざるを得ないのです。