☆やえニュース☆

  政治資金管理団体に土地がそんなに必要なのか警察・検察の取り調べや起訴は別組織がやるべきジミンガーの病相手の身になって考えよう高速道路無料化実施はただのアリバイ作り相撲は文化であり伝統行事であり神事である民主「石川議員辞職勧告、審議には当たらない」事業仕分けとはいったい何だったのか


■特選記事■


平成22年2月8

 事業仕分けとはいったい何だったのか

 当サイトは昨年の当時から、民主党が客寄せパンダのために仕掛けてきたいわゆる「事業仕分け」について批判してきました。
 そしてそれを受けて今衆議院に提出されている予算案が作られたのでしょうけど、しかし果たして本当にあの事業仕分けとはいったい何だったのか、とても疑問なニュースがいくつが出てきました。
 あの事業仕分けというのは、いま審議されている予算案の言わば叩き台であったハズですが、しかしよくよく見ると、別に事業仕分けがあったとしても無かったとしても全然変わらないんじゃないかと思わずにはいられないワケです。
 こんな記事があります。

 スパコン予算、復活へ 仕分け結果を転換、227億円
 
 鳩山政権は16日、事業仕分けで「凍結」と判定された「次世代スーパーコンピューターの開発」の「復活」を認め、2010年度予算で227億円を計上することを決めた。科学者らの強い反発を踏まえ、初めて仕分け結果を転換した。文部科学省の概算要求(268億円)と比べても41億円の減額(約15%減)にとどまった。
 スパコン予算を巡っては、事業仕分けで「世界一にこだわる必要があるのか」などの批判が相次いだ。「凍結」判定を踏まえ、菅直人副総理兼国家戦略相、藤井裕久財務相、仙谷由人行政刷新相の3閣僚が11日、来年度は「施設費など最低限の経費」として29億円の計上にとどめるよう求めた。
 だが、ノーベル賞受賞者らが仕分け結果に強く反発し、科学技術予算の重要性を強調した。これを受けて3閣僚は川端達夫文科相と16日に協議し、「説明会などで説明責任を果たす」ことを条件に予算の「復活」を受け入れた。大串博志財務政務官は記者会見で「政治の意思で決めた。特例的な結果だ」と説明した。

 なかなか懐かしい出来事に思えますが、そうです、あの民主党の蓮舫参議院議員の問題発言「世界一位じゃないとダメなんですか。二位だとダメなんですか」で注目された、科学技術予算についての記事です。
 まだまだ記憶に新しい人も多いと思いますが、民主党が仕掛けた事業仕分けによって科学技術予算の大部分が削られていたのに、あれあれいつの間にかこの記事が示すように、いつの間にかほとんど予算は復活していて、予算案に組み込まれていたのです。
 しかもその復活額はなんと約200億円。
 最初の要求額268億円から29億円に削ったハズなのに、それが急に227億円に戻っているワケで、もうこれだけで果たして事業仕分けとはいったい何だったのか、まるで意味が分からない状況になっていると言えるでしょう。
 
 そもそもこの事業仕分けとかいうモノの存在自体が、非常にあやふやな分かりにくい存在です。
 いったいどのような根拠でもって作られ、そしてどのような根拠で予算を削るだなんていう権限を持っているのでしょうか。
 そして結局内閣が「復活だ」と一言言えば復活してしまうのですから、それならはじめから内閣が予算を作ればいいだけで、それは昔から自民党政権下でそうなっていたワケで、いちいち復活の余地があるような事業仕分けをやるコトは、それは無駄な存在だと言えるのではないでしょうか。
 まるで事業仕分けの根拠や立ち位置が全然説明されていないからこそ、このような大きな無駄が生まれるのです。
 事業仕分け自体が無駄になってしまっているのです。
 
 システム的に考えても、この事業仕分けは大きな疑問があります。
 例えば今回のこの科学技術予算、事業仕分けで大幅カットされたワケですが、もしこのまま政府予算案が作られていたとしたら、そのカットした理由を果たして誰に聞くべきなのでしょうか。
 予算案を審議する場は衆議院もしくは参議院の予算委員会ですが、しかし蓮舫議員は政府には入っていませんので、参考人招致などをしない限り、カットした張本人にその理由を聞くコトができないのです。
 もちろん予算案を最終決定した内閣にその理由を聞くというのも筋としては通っていると言えますが、しかし蓮舫議員は国会議員として予算に手をつけたワケですから、やはり国会議員の責務として国会の場という日本で最も公的な場でその理由を明らかにするのが半ば義務と言えるのではないでしょうか。
 しかも「世界一にならなくていい」と明言したのですから、その真意を聞き姿勢を正すというのは、絶対に必要な行為だと思います。
 どうせ鳩山総理に理由を聞いても、日本語になっていない言語で意味不明な答弁しかしないでしょうし。
 しかし民主党の事業仕分けは、その存在理由が全く定義されていないので、それすら出来ないのです。
 このように、民主党の事業仕分けは、国家のシステムの問題から見ても破綻しているのです。
 
 復活した予算は科学技術の分野だけではありません。
 さっきの記事には次のように続いています。

 農林水産省予算では、自然災害に備える「農業共済」関連の2事業998億円の要求に対し923億円を認める。仕分けでは「3分の1程度の削減」と判定されていた。赤松広隆農水相が「共済組合の安定的な運営ができない。法改正も必要で、来年度の削減は困難だ」と主張していた。

 科学技術の場合、目立つような人が大反対したから、民主党が世論の反発をおそれて復活させたのでしょうけど、実はそれだけでなく大臣の判断だけで復活させた予算もあるワケです。
 どちらが適切かはともかく、それにしても事業仕分けがいかに杜撰で適当で無駄な行為か分かるというモノでしょう。
 またこのような復活予算もあるようで、

 “仕分け”されても何故か蘇った「鳩山・仙谷」案件
 
 「“仕分け”された『在サハリン韓国人支援共同事業』が、予算案では、何故か蘇ってしまっていた」
 とは、外務省関係者。
 日本領時代、サハリンに渡った韓国人は、戦後、ソ連政府によって、帰還を認められなかった。そうした「サハリン残留韓国人」に対し、一時帰国や永住帰国、または残留を支援する事業が、日韓の赤十字社によって平成元年にスタート。資金は全額、日本政府の拠出金で賄うことになった。
 一見、人道的なこの事業。だが、問題点も山積である。
 「対象者がはっきりしない。認定は韓国側が一手に行っているため、いつまで経っても“我も我も”と湧くように名乗り出てくるのです。『一時帰国』も好い加減。“孫に韓国へ買い物に行きたいとねだられた”と言われてカネを出した例もあったくらいです」(事情通)
 それだから「事業仕分け」でも、28の無駄な「国際機関等への任意拠出金」の一つとして俎上に載せられて、敢え無く「見直し」と判定。
 しかし、先のクリスマスに閣議決定された来年度予算案で、同事業は手付かず。概算要求と同じ、1億8600万円が確保されたのだ。故にこんな指摘も出る始末。
「この事業には、鳩山首相と、仙谷国家戦略・行政刷新担当相が関わっています。仙谷さんは、旗振り役の弁護士と友人で、事業推進議連のメンバーとして国会質問まで行い、拠出金執行に一役買いました。鳩山さんは北海道選出とあって、輪をかけて熱心。訪韓の際、永住帰国者の施設に立ち寄ったりするだけでなく、国会の代表質問で、この件をわざわざ述べたことすらありました。今や2人とも政権の最中枢。幾らなんでも潰せないというのが当局の本音でしょう」(先の関係者)

 鳩山首相や仙谷大臣が個人的に親しい人が関わったからという理由で、あっさりと復活です。
 しかもまぁなんて言いましょうか、その中身を見ても、実に民主党らしい予算の復活と言えるのではないでしょうか。
 
 やえが今回パッと探しただけでも、これだけ事業仕分けで削られたハズなのにいつの間にか復活していたという予算が出てきたのです。
 まだまだこの手の予算が埋もれている可能性はあるでしょう。
 国民の多くはあの事業仕分けを見て「透明性が高まった」と言っていましたが、本当に透明性が高まったと言えるでしょうか。
 ただ単に民主党がサーカスを開いたから見えるような気がしているだけであって、その陰には、このようにむしろ隠されている予算がたくさんある、つまり隠れ蓑を事業仕分けで作っているだけなのではないかと言えるのではないでしょうか。
 国民はよくよく考えて貰いたいです。
 

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平成22年2月5

 民主「石川議員辞職勧告、審議には当たらない」

 今日はちょっと時間がないので短くいきたいと思うのですが、それにしてもこれひどくないですか?

 民主「石川議員辞職勧告、審議には当たらない」
 
 民主党の山岡賢次国会対策委員長は5日午前、国会内で開いた同党の正副国対委員長会議で、自民、公明、みんなの党の3党が提出した石川知裕民主党衆院議員の議員辞職勧告決議案について、「(石川氏が罪に問われている政治資金規正法違反事件は)秘書の時の問題で、国会議員としての事項ではない。辞職勧告を審議するには当たらない」と述べ、本会議での採決には応じない考えを示した。
 これに対し、自民党の大島幹事長は、党本部で記者団に「民主党の倫理観がまさに表れている。議員の逮捕・起訴自体が国会の品位の観点から大変な問題だ。民主党がこの問題を『何ら問題ない』と意識している証左だ」と語り、民主党の対応を批判した。

 仮に「石川氏が罪に問われている政治資金規正法違反事件は秘書の時の問題で、国会議員としての事項ではない」という言い分が正しいとしましょう。
 やえは、そうであればもう一度この人の新たに判明した過去の経歴をシッカリと有権者が理解した上で投票行動を決めるべきだと思いますので、一回辞職して選挙し直した方がいいと思うのですが、まぁとりあえずは仮にそれが正しい理屈だと仮定しましょう。
 しかし、であるなら、ちゃんと審議した上で民主党として否決すればいいじゃないですか。
 本会議を開いて、堂々と民主党が反対すればいいじゃないですか。
 いま民主党の方が多数を占めているのですから、石川被告をどうしても議員に居座らせ続けたいのであれば、民主党の権力を持ってすれば可能です。
 どうぞ自分たちが正しいと思うなら、堂々と本会議を開いて否決されればよろしいではないですか。
 どうしてそのようにしないのでしょうか。
 
 いったい「与党が審議拒否」なんてどこの世界の話ですか。
 メチャクチャにもほどがあります。
 どうせ民主党は、採決をして反対票を投じたら世間から「かばうのか」と言われてしまうので、いっそのこと審議せずに無視してしまおうと思っているのでしょう。
 昨日今日と朝青龍の話題ばかりで、このニュースが全然出てきていないコトからも、無視すれば注目されないとタカをくくっているのでしょう。
 批判されるのがイヤだから逃げているだけなのです。
 どこまで卑怯で下劣で最低の政党でしょうか、民主党は。
 
 もし、小沢民主党幹事長や鳩山総理のように、起訴されようがなにしようが裁判で結論が得られるまでは推定無罪だと言うのでしたら、それはいいですよ。
 やえもその言葉に反対するつもりはありません。
 今まで民主党は散々自民党に対して道義的責任とか任命責任とかという言葉を振りかざして大臣の首をはねてきたクセに、もし自民党の秘書が3人も逮捕され起訴されていたら民主党もマスコミもこんな程度の批判では絶対に収まらない、議員辞職するまで連日連夜大騒ぎしていたクセに、本当に今の民主党の姿勢はものすごく矛盾していますし、無責任さは呆れるしかありませんし、メチャクチャだと思いますが、まぁ法律の大原則を貫くというのでしたらいいですよ、それで。
 しかしでもそうであれば、堂々と国会の中でそう主張して、議員辞職勧告決議案に反対するべきでしょう。
 「推定無罪なのだから反対する」と堂々と言えばいいじゃないですか。
 どうしてそれができないのでしょうか。
 それが公党の、国会議員のするコトでしょうか。
 
 民主主義とは対話や議論があって初めて成り立ちます。
 暴力ではなく、議論によって政治を動かそうというのが民主主義です。
 しかし民主党は、その政党名に反し、自らの都合の悪いコトは権力を持って封殺し闇に葬ろうとしているのです。
 民主主義とは言えない強権による恐怖政治です。
 いまの日本はこんなおそろしい独裁政治をひく民主党という政党が支配している国なのです。
 「開かれた政治」とか言ってますが、事業仕分けもそもそもごまかしでしかありませんでしたし、民主党はそんなつもりはハナからないのです。
 自分たちの権力の道具になるかどうか、それだけが行動規範なのでしょう。
 

平成22年2月4

 相撲は文化であり伝統行事であり神事である

 えーと、今日の更新は、朝青龍が引退を表明する前に書いたモノです。
 なんだかすんごいタイミングになってしまいましたが、しかし本題は朝青龍個人だけの問題ではないので、そのまま載せたいと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 今日はお相撲のお話です。
 やえはお相撲がけっこう好きな方で、積極的に見ようとは思いませんが、テレビのチャンネルを回していた時に中継をしていたら見るぐらいは好きです。
 いつか一度生で見てみたいと思っているんですけどね。
 で今日は、そんなお相撲の、朝青龍の問題についてちょっと語ってみたいと思います。
 
 いままで様々な問題を起こし続けてきた朝青龍ですが、ついに一般人を暴行したとかで今廃業の危機に立たされています。
 結局暴行されたと思われる一般人が示談を了承し、なにやら暴行された事実すら無かったとか言っているようで、どうも真相は闇の中に葬られそうな予感でありますが、それでも日本の国技である大相撲の最高位である横綱が、示談をしなければならない問題を起こしたという事実には変わりなく、その影響は極めて大きいと言わざるを得ないでしょう。
 やえはここで刑事事件についてはコメントしようとは思いません。
 それは法に照らして、裁判でも示談でもやっていただければいいでしょう。
 しかしそれはそれとして、今一度大相撲というモノを考え直す機会が来ているのではないかと、やえは思うのです。
 
 この問題でテレビや新聞などのコメントを見ていても、どうしても忘れているんじゃないかと思うコトがあります。
 それは
 
 今までの問題に対する処分等は、今回のような事態を避けるためにやってきたのではないか
 
 というコトです。
 なにやら相撲協会の処分というのは、起こした問題に付随しているオマケみたいに考えているのかもしれませんが、しかしこれは相撲協会の処分だけに限らず、世の中の全ての罰は「二度とこのようなコトを起こさせないため」のモノであって、いわば「未来に対する処置」であるワケで、ここを多くの人が忘れてしまっているようにしか思えません。
 相撲協会としては処分というモノを、朝青龍が問題を起こすたびに適当に下して、それをもって世間を納得させる道具としてしか考えていなかったのではないでしょうか。
 「今回のコトに対してこういう処分をしたから、もう黙っててくれ」と、そういう意味での処分だったのではないかと思わざるを得ません。
 しかしそれは本来の罰の意味から大きく逸脱している考え方であり、そしてだからこそ、結局今回のような最悪の事態にまで発展してしまったと言わざるを得ないのではないでしょうか。

 「アスリートとしては、150%好きだが、横綱としては認めない」

 今年の1月に横綱審議委員を任期満了で退任された内館牧子さんのこの言葉は、やえは深く感銘を受け、全くその通りだと思いました。
 もしお相撲がただのスポーツでしたら、競技者としてものすごい実力を持っている朝青龍は素晴らしい選手と言えるでしょう。
 また「ヒール的存在」もいいでしょう。
 憎まれ役がいるからこそその競技全体が活性化するというのは、やえも大好きなプロレスの例を見るまでもなくその通りですから、間違ってはいないと思います。
 しかしそれはあくまで、ただのスポーツであった場合です。
 
 相撲は文化であり伝統行事であり神事です。
 かの古事記にも出てくる日本という国が形成されたのとほぼ同時に日本の歴史と共に歩んできた伝統の文化です。
 人間の力を発揮し誇示するコトで、神々に敬意と感謝を奉納するのが相撲なのです。
 そしてその頂点に立つのが横綱であり、いわば横綱は「土俵上で最も神に近い存在」であるのです。
 いまの大相撲は、これらの伝統を引き継いで相撲と名乗っているのですから、原点である日本の文化であり伝統行事であり神事であるという歴史を忘れてはならないハズです。
 
 ですから、競技としての相撲が強いだけが本来の横綱や大関、そして関取の資質資格ではないハズです。
 力士は言わば神職であり、神々と対話をして、神と人間の間の綱渡しをする役を負っているワケです。
 例えば、力士に赤ちゃんを抱いて貰うとその子は健康に育つからと抱いて貰う人はいっぱいいますが、これももちろん科学的に言えば全然根拠のないコトですけど、これも日本人にはそういう神事としてのお相撲と力士という意識が根底にあるからこその風俗と言えるでしょう。
 また、相手と戦うという競技だけを考えれば全く無駄としか言いようのない土俵入りも、これは神事としての伝統行事だからこそ今でも続いているワケで、特に最も神に近い存在である横綱の土俵入りは特別なモノですよね、このように相撲とは単にスポーツと言ってはならない日本の大切な文化のひとつなのです。
 
 それを最近は相撲をただのスポーツかのように扱うから、今回のようなコトになってしまうのです。
 ボクシングの亀田三兄弟と比べるコト自体がおかしいのです。
 こう言ってはなんですが、ただの殴り合いから始まりその域を出ないボクシングと、コトの始まりはともかく、とても古い時代にすでに神事として日本の文化に根付いた相撲とを比べる方が間違いです。
 やえはボクシング嫌いではないですし野蛮というつもりはありませんが、しかしボクシングのような競技では、まぁ亀田三兄弟のような下品なキャラもいいでしょう。
 それでボクシングの品格を落とすようなコトもないのでしょうから。
 しかし相撲は神事です。
 勝ち負け以上に、神々との対話、感謝の気持ち、神への捧げ物という性格を帯びた伝統行事なのです。
 そういう意味で、ただ勝てばいいとか、強ければ許されるとか、いまのお相撲に対するこのような風潮には、やえは疑問どころが嫌悪感を感じざるを得ないのです。
 
 今の相撲協会はお金のコトしか考えていないのでしょうか。
 ただ朝青龍を興行の道具としてしか考えていないのか、朝青龍はヒールのままでいい、そうするコトによってお客さんがたくさん集まるから、多少のコトは闇に葬って試合に出て貰おうと、そう思ってるのではないのでしょうか。
 もしそうであれば、もう相撲という名称は使わないでほしいです。
 まわしレスリングとでも名前を変えてもらいたいです。
 
 今回の朝青龍がいったい何をしでかしたのかというコトよりも、むしろ朝青龍は神々への感謝の神事である大相撲の中でも最も神に近い存在である横綱という位に相応しい人物であるのかどうか、神職の最高位として相応しいのかどうか、そこを過去のコトも照らし合わせて今一度考えるべきだと思います。
 

平成22年2月3

 高速道路無料化実施はただのアリバイ作り

 今日はこちらのニュースです。

 国交省、無料化実験の高速道37路線を発表
 
 国土交通省は2日、6月から全国の高速道路37路線の50区間、計1626キロで無料化の社会実験を開始すると発表した。
 首都高速と阪神高速を除く全路線の18%に相当する規模で、全車種を対象に、時間帯や曜日に関係なく自由に通行できるようにする。
 無料化されるのは地方の高速道路が中心で、首都高や阪神高速など、3大都市圏内や札幌、仙台、広島、福岡の各都市圏内と、これらを相互に結ぶ路線など、利用者が多い路線は、混雑を招くとして除外された。実験に伴い、2010年度は1000億円の国費が、高速道路会社の収入を穴埋めするために予算措置される。
 一方、昨年3月に始まった地方の高速道路全体を対象とした「上限1000円」の割引制度は廃止する方針だ。新たに乗用車を上限2000円、トラックを同5000円などとする、走行距離に関係ない料金制度を、無料化対象外の路線で実施する方向だが、割引条件などは検討中だ。

 昨日今日と大きく取り扱われていますので多くの人はご存じかと思いますが、昨日国土交通省は今年6月から高速道路の一部を無料化すると発表しました。
 これは民主党が先の衆議院選挙でマニフェストに掲げていた公約であり、民主党としてはもっとも重要な目玉のひとつでしたから、なんとしてでも実現したいと思っていたのでしょう。
 
 しかし、あまりにもこの内容はヒドイとしか言いようがありません。
 
 まずはこちらをご覧下さい。
 
 
 これは今回の発表された6月から無料化される高速道路の路線ですが、もう見るからに、たったこれだけです。
 いったいこんな無料化をして何の意味があるのか、やえにはさっぱり理解できません。
 道路はネットワークです。
 つながってこそ意味があります。
 そんなのよくよく考えれば当たり前の話ですよね。
 自分の家から学校まで、途中までしか道路が造られていなければ、いくら自分の家の前に道路があったとしてもまるで意味を成しません。
 道路はつながってこそ意味があるのです。
 これでは、確かに「無料化しました」と口の上だけでは今回のコトで言えるのかもしれませんが、しかし実際それで国民にメリットがあるのかどうかは、甚だしく疑問だと言わざるを得ません。
 
 本来の高速道路が無料化したり安くなったりするメリットというのは、普段はそんなに遠出しないけど高速道路安くなったしせっかくだからと高速道路を使って車で出かけてる、というところでメリットが生じるワケです。
 自民党政権下で土日祝日一律1000円という政策が実施されましたが、これによって多くの国民が普段行かないようなところに行ったからこそ、様々な経済効果が新たに生まれたのです。
 無料化や1000円そのものに意味があるのではなく、遠出しやすい環境を作り、実際に遠出するコトではじめてその効果が現れるのです。
 例えば当サイトの管理人であるあまおちさんも、この前なぜかふらっと「新潟行ってくる」なんて言ってレンタカーを借りて出発し、翌日なぜか福島の会津藩のお菓子をお土産にくれましたけど、普段旅行をあまりしないあまおちさんが新潟行ったのは、これはもう1000円の効果と言っていいのでしょう。
 お土産もそうですし、一泊したのでしょうから宿ですとか食事ですとか、家でゴロゴロしているよりも遙かに大きな経済効果を、一律1000円がもたらしたのです。
 こう思い立った人というのは少なくないと思いますし、各地観光地ではこのような効果によって賑わったという話をよく聞きますよね。
 これが本来の、無料化/低価格化のメリットなのです。
 
 しかしどうでしょうか。
 例えば東京から新潟に行こうとしても、上の地図を見ていただければ一目瞭然ですが、今回の無料化では全く意味を成さない結果になっています。
 そもそも東京からだと、どこの地方に行こうとしても、どうやっても無料では行けないようです。
 いまの1000円でも、首都高や首都圏ではまた微妙に料金体系が違うので完全に1000円だけでは行けないのですが、しかし今回の発表では『新たに乗用車を上限2000円、トラックを同5000円などとする』なんて言ってますから、実際のところ大きな値上げになると言う方が適切でしょう。
 果たしてこれで、普段遠出しないような人がわざわざ高速道路に乗って遠出しようと思うでしょうか。
 果たしてこの無料化は、遠出に対して魅力的なプランと成り得るでしょうか。
 もしそう思わないのでしたら、この無料化は全く意味を成さない政策としか言えません。
 そして少なくともあまおちさんは、これじゃ新潟行かないだろうなと言ってました。
 
 テレビなんかでは、この無料化される地域の人や、実際にそこを走っている人にインタビューをして、好印象なコメントを流していましたが、そんなのは当たり前ですよね。
 特にいま有料でもその道路を使っている人に「無料になったらどう思いますか?」なんて聞いても、そんなの「いいことだと思います」と言うのは当たり前に決まってますよね。
 有料でも使うんですから、それがタダになればうれしいに決まってます。
 でも実際無料化する路線は全国でもたった18%に過ぎず、しかもこの数字は首都高や阪神高速などを除いた数字なのですから、もっとちゃんと計算するとかなり小さい数になるでしょうし、まして人口比で考えれば10%にもなるのかどうか、そのぐらいの人しか恩恵をあずかれない政策としか言いようがないのです。
 どういう意図でこれらの路線を選んだのか知りませんけどね。
 
 これはそもそも論になりますが、結局高速道路無料化なんていう政策は、言い換えるなら「車を持ってもいない、高速道路なんて使ってコトもない」という人からも強制的にお金の負担をさせて、しかし一部の車を使う人だけを優遇するという政策に他なりません。
 もちろん税金の使い道というのは、出口では全員が一律公平に受益できるモノではありませんから、それだけをもってダメとは言いませんが、しかし高速道路に関しては今までは使う人だけがその分負担するという仕組みが出来ていたのですから、それをわざわざやめてまで不公平な負担となるように採るべき施策とは到底思えません。
 まして、それで経済効果が高ければ考える余地はあるでしょうけど、今回のこれではそれもまず期待できませんから、まるでダメなところしか思いつかない最低な政策と言えてしまうのではないでしょうか。
 
 「高速道路無料化」というのは、むしろ「使わない人からもお金を支払わせる仕組み」と言った方が正確ですし、まして今回のような中途半端この上ない方法では「たった数%の人達だけのための制度」でしかないのです。
 
 今回のコトは、やっぱり民主党が「マニフェストに書いたコトを実行しましたよ」とアリバイを作るために実行しようとしているようにしか思えません。
 少ない予算の中で、もっとも影響が出にくいだろうと思われる路線、言い換えるなら普段からもあまり通行量が多くない路線を選んで、もしくはさらに別の意図があるのかもしれませんが、そんな現実的でないマニフェストでも、なんとか無理矢理実現しようとした結果がこれなのでしょう。
 昨日の記者会見で馬淵国交副大臣が、「予算が削られたのでこうならざるを得なかった」みたいなコトを言ってましたが、何を言っているでしょうか、その予算を作ったのは他でもないあなたたち民主党じゃないですか。
 自分で予算を作っておいて、なにを他人事のように、他人のせいかのように言っているのでしょうか。
 相変わらず民主党は、都合の悪いコトは他人のせいにする体質なんですね。
 いったい何のために、どのようなメリットがあって今回のような政策を打つのか、民主党と前浜国土交通大臣はキチンと説明をしてほしいです。
 
 ウソでとった政権に、いつまで民主党は居座り続けるのでしょうか。
 

平成22年2月1

 相手の身になって考えよう

 今日はこちらの記事について取り上げます。

 “ハイチに千羽鶴”を考える
 
 「ハイチ大地震の被災者を元気づけるため千羽鶴を贈ろう」という動きが、コミュニティサイト『mixi』で広がり、全国から折り鶴が続々と集まっているとの報道があった。これに対しネット上では「被災地に迷惑だ」との批判が相次いでいる。
 ブログでも「これこそ、日本人の“平和ボケ”の例」「普通の救援物資ですら空港や港が破壊されて満足に届けることもできない状況で、千羽鶴を送ることがどういうことかは想像が付きそうなもの」などの声が多数見られる。「何かをしてあげたい、喜んで貰いたいと思う気持ちは尊いものです」という『心理カウンセラー日記』のブロガーも、千羽鶴ではなく「清潔な水、清潔な毛布、清潔な食料が必要」「少しでも我々ができることは、義援金を送ること」と主張する。
 しかし、『Scarborough Fair』のブロガーは、「義援金を送るほうが歓迎される」としながら、「現時点でなにもしていない自分には、(発起人の)この子を叩くことはできません」との見解だ。「存在が遠すぎる」ハイチに、支援したいと思わなかった自分より「たとえ偽善だったとしても、“千羽鶴を折る!”という行動をしようとすることができたこの人は素晴らしいと思います」という。

 やえはこういう問題が出てくると、いつも「千人祈」の騒動を思い出します。
 おそらく最近の人はもうほとんど知らないと思いますが、千人祈とは、アメリカのイラク戦争に対してネット上で反戦の言葉をたくさん集めようという運動で、最後にはそれらの言葉をまとめて書籍化したというモノでした。
 公式サイトもまだ残っているようですが、まぁとりあえず、政治信条はそっちのけでネット上で反戦の言葉をつづれば戦争が止められると信じていた人達と、やえは理解しています。
 そしてそんなバカバカしいコトは無益以上に、政治を全く理解しないままくだらない言葉を公的な場所で発するのは、特にネット黎明期だった当時では「所詮ネットか」と思われてしまう害悪にしかならない行為なのでやめるべきだと、やえは何度か主張したコトがありました
 戦争は政治そのものであって、政治論無き戦争論などあり得ないのですから、日本の政治やアメリカの政治、そして世界の政治を全く理解しないままただただ反戦を唱えても、自分の部屋で一人で心の中で祈るならまだしも、いくら祈りというタイトルとつけても公的な場所で表明すればそれは意見以外何者でもなく、政治思想無き政治論など害悪にしかならないのです。
 当時まだネットでは左翼的な空気が色濃く残っていた時代でもあり、当サイトもだいぶいろんなところで大きく取り上げられたモノですが、こうした「とりあえず何かしよう」と焦りみたいなモノに取り付かれて、何も考えないまま行動するという人は、今も昔も少なくないと言えるのかもしれません。
 
 で、本題の今回の件ですが、今回は実際に「物」を送りつける行為というのが千人祈と多少違う部分であり、そうなると1つキチンと考えなければならない問題があります。
 それは、贈られる方、つまりもらう方が、それを貰ってメリットがあるかどうかです。
 
 もちろこの場合のメリットとは、当然食料や毛布、現金なども大きなメリットとして今ハイチには集まっていますが、その他にも精神的なメリット、例えば勇気が出てきたとか感動したとか、そういう面も含めての話です。
 もしそれを贈るコトによって勇気づけられるなら、それはとても素晴らしい贈り物だったと言えるでしょう。
 
 逆に、このようなモノを贈られても困るだけなら、むしろ贈られる方の迷惑にしかならず、害悪にしかならないと言えるでしょう。
 例えば入院した人に花を贈る場合、慣習として切り花を贈るのが良いとされていて、鉢植えの花はNGとされています。
 これは「根が張る」という意味から、鉢植えを贈ると入院の期間が延びてしまうという、いわば言霊的な意味合いからきていまして、やはりそのような慣習がある以上、いくら贈る側が善意で贈ったとしても、貰う側からしたら迷惑でしかないというのは言うまでもないコトです。
 ここに贈る側の善意とか純粋な心とかというのは問題ありません。
 大切なのは、貰う側がどう受け取るかという点なのです。
 それを忘れてしまっては、それはただの自己満足であり、他人に見せるには恥ずかしい、見せてはならないオナニーでしかないでしょう。
 
 その上で今回の問題を考えてみましょう。
 まず、物質的な意味でメリットがあるかどうかですが、まぁこれは無いと言っていいでしょう。
 お金で鶴を折ったりしていない限り、千羽鶴そのものが地震の被災地に物質的に役立ち場面があるとは到底思えません。
 たき火をするにしても、もっと効率的なモノがあるでしょうし。
 
 常識的に考えれば、千羽鶴は精神的なメリットを期待しているモノと思われます。
 つまり千羽鶴を見るコトによって、この難局を乗り切ろうと勇気がわき出るという効果を期待しているワケです。
 入院患者に千羽鶴を贈るというのはよく見られる光景ですが、これはこういう効果を期待して贈りますよね。
 ですから、今回の発案者も、被災者に対して千羽鶴を贈るコトによって勇気づけようと思い、今回の運動に発展したと考えられます。
 
 しかしここで考えなければならないコトが1つあります。
 それは、果たして現地のハイチの人が、「千羽鶴の意味」を知っているかどうか、理解できるかどうかです。
 やえはこの千羽鶴の「相手を勇気づける」という意味が、日本だけでなく、全世界どの国でも共通して理解されている意味なのかどうかというのは、そこまでは知りません。
 しかしもし仮にハイチの人が、千羽鶴に勇気を与えるという意味を知らなかったとしたら、これは大変に迷惑なコトだと言わざるを得ないでしょう。
 例えば病気で入院した時に、アフリカのどこかの日本人的感覚では不気味としか思えないような木彫りの人形を贈られても、それは困惑しか覚えないでしょう。
 それがまだ直接の知り合いからならまだしも、これが全く見ず知らずの縁もゆかりもない外国人から贈られたとしたらどう思うでしょうか。
 まして今ハイチでは、食料が全く足りずに暴動が起き、なんと食糧を配給している係員にまで襲いかかってしまう体たらくですから、もし何の役にも立たず心にも響かないような物を贈られても、むしろ気が立ってしまう要因にしかならないのではないでしょうか。
 
 言うまでもないコトですが、ハイチの人は日本人ではありません。
 そしてこの差はとても大きいです。
 ニュースの映像で目にしたコトがある人も多いと思いますが、ハイチの人たちは自分のコトしか頭になく、少ない食料を暴力によって他人から奪おうと、暴動寸前の状況が続いています。
 しかし日本人は、例えば阪神大震災の時もみんなが支え合って静かにゆっくりと火を囲みながら救援を冷静に待っていました。
 食料が来ても暴動など起きず、綺麗に列を作り、また自主的に手伝う人もいました。
 感性が全然違うのです。
 日本人なら、ワケの分からない物が、食べ物もない飢餓状態の中に贈られてきても、もしかしたらありがたく思う人もいるかもしれませんが、果たしてハイチの人がいまの極限状態でそこまでの余裕が持てるかどうか、やえには疑問しか思えないのです。
 
 結局いまの日本、貧困率が拡大しているんだと言っても、やはり世界的に見ればとても裕福な国だと言えるのでしょう。
 そして、だからこそ本当の貧困というモノが理解できず想像できず、自分が喜ぶモノは世界の誰でもどこでも喜ばれるんだと簡単に思ってしまうのでしょう。
 裕福な自分が、被災地の悲惨な映像を目の当たりにして、どこか後ろめたい気持ちになってしまうのでしょう。
 それから逃れるために「何か」をしたくなるでしょう。
 しかしもし今回のコトで「くだらないモノを贈ってくるな」と逆上され、日本の印象が悪くなったらどうするつもりなのでしょうか。
 アフガン支援の時に「軍隊が行くのはむしろ日本の印象を悪くし国益を損なう」という一部論調がありましたが、これはまさに今回こそ考えなければならない問題ではないかと思います。
 
 やえは正直、「やらない善よりやる偽善」とか「何もしていないよりはマシだ」とか「何もしてない人間が文句だけ言うのか」みたいな言葉は大嫌いです。
 今回のコトや千人祈への批判などというのは、それを行うコトによって害悪が発生する、むしろマイナスにしかならない可能性があるから、そう批判しているだけなのです。
 マイナスを阻止しようと批判するコトは、まったくもって正当性のある行為でしょう。
 そこに「何もしていない」とか「募金してから」とか関係ありません。
 もし自分だけが千羽鶴を折って、自分の部屋の中に飾って、毎日ハイチに向かって手を合わせてお祈りするというのでしたら、まぁ他人がとやかく言うコトではないでしょう。
 しかし、いくら祈ろうが何しようが、物をハイチに贈る以上、相手のあるコト、相手がどう思うかというのが一番重要であるのですから、そこを考えずに行動するというのは浅はかすぎる行為と言われても仕方ありません。
 ましてそれで日本の印象が代わってしまうのであれば、大変に憂慮すべき問題と言うしかないでしょう。
 そこを注意してほしいのです。
 ここに善も偽善も行動した人もしていない人も関係ありません。
 
 今回のこの運動の主催者がそこまで考えているのか、そして千羽鶴の意味がハイチの人が知っているのかどうか、そして知っていたとしても本当にこの行為が勇気づける行為になるのかどうか、そこをキチンと考えてほしいと思います。
 もしそれでプラスに本当になると確証が得られれば実行すればいいでしょう。
 しかしそうでなければ止めた方がいいとしか言いようがありません。
 
 少なくとも、自分だけが満足するような行為は、まるで意味がないだけでなく、むしろ他人に迷惑をかける場合もあるというコトを知っておいた方がいいと思います。
 

平成22年1月29

 ジミンガーの病

 最近「ジミンガー」という戦隊モノっぽい名前の病が流行っています。
 発症者は主に民主党の議員や鳩山内閣の閣僚です。
 民主党鳩山内閣の政策に対する批判や、鳩山総理もしくは小沢民主党幹事長に対する政治と金の問題を批判されたときに
 
 「それは自民党政権時代のツケであり、自民が悪い」
 
 と、自分たちの義務や責任を丸投げして、半ば逆ギレのように反論を避けて相手のせいにするコトによって、現実問題から目を背けようとする病です。
 例えば普天間基地の問題にしても、「自民党政権時代のツケでいま苦しんでいる。自民党に言われたくない」とそんな風に言っている首相や閣僚がいますが、しかしそもそも基地問題というのはさかのぼれば大東亜戦争の日米戦争が発端であって、言うなれば国民全員にも責任があり、そして考えなければならない義務がある問題であって、ジミンガーと一言で言って済む話ではありません。
 また、そもそもこの問題は昨年の衆議院総選挙の前からずっと提示され続けていた問題であって、民主党はそれを理解した上で自らのマニフェストを作って公約として「見直し」と書いたのですから、今更「ジミンガー」と言ってたとしても、それは民主が実行できないという言い訳には全くなりません。
 もし実行できないのであれば、はじめからマニフェストには「自民党の施策を継続」と書くべきだったでしょう。
 それで何ら問題はなかったハズです。
 
 この病は一部マスコミにも感染しています。
 朝のワイドショー系番組で、コメンテーターが次のようなコトを言っていました。
 
 「平野官房長官の『市民感情など斟酌(しんしゃく)しなくていい』発言を自民党は批判しているが、他の大臣だって『国が決める』と言っているし、防衛大臣だったころの石破さんも当時インタビューした時も『国が決める』と言っていた。自民党が平野官房長官を批判するのは筋が通ってない」
 
 これはかなり根深いジミンガー病です。
 「国が決める」という発言は、こんなのは当たり前です。
 外交問題ですから、それを決定する権限は国にあります、というか国にしかありません。
 ですからそういう意味で大臣が「国が決める」と発言するのは当たり前の話です。
 そしてその上で、それを決定するプロセスの途中において、地元の人たちの意見をどう考えるかというのは、決定権がある「国が決める」という問題とは全然別の話でしかありません。
 鳩山総理が「決めないコトを決めた」とワケの分からない日本語を発したコトからも分かるように、この問題はまだまだ決定が見えない道半ばの問題であって、平野官房長官はその段階で「斟酌しなくていい」と言ったのですから、それはもう批判が出て当然でしょう。
 ジミンガーと言っても、筋違いも甚だしい言いがかりです。
 
 さらにツッコミどころが2点あります。
 まず1点は、ジミンガージミンガーと言ったところで、しかし自民党としてはこの問題はすでに1つの結論を国民に提示しているという点です。
 つまり、10数年にわたって交渉した結果の日米合意に基づく現行計画の履行です。
 自民党政権がもし続いていたら、これが着々と進んでいたワケですから、自民党の案としてはすでにこれが提示されていたワケです。
 一方民主党は、それに反する形でわざわざマニフェストに公約を掲げ、しかしそれを履行できていないのですから、どちらが無責任かというのは言うまでもないコトでしょう。
 
 そしてもう1点は、民主党は今まで散々「国民との契約であるマニフェストが最優先だ」とか「マニフェストに書いてあるから実行する」とか言っていたワケで、理屈よりも選挙の結果を政策の上で優先させてきたのですから、いまさら「市民の感情など斟酌する必要ない」と言ってしまえば、それは言行不一致と言われても仕方ないでしょう。
 しかも衆議院選挙より後に行われた、「直近の選挙の結果」です。
 キャッチフレーズにも散々「国民の生活が第一」なんて言ってきたのですから、それを180度ひっくり返すような発言をすれば、「どうなっているんだ」「無責任じゃないのか」と言われて当然でしょう。
 自民党としても、そう批判しているワケです。
 
 この問題に関しては自民党は自らの政策をキチンと掲げ、その上で野党として「与党のブレ」を指摘し批判しているのです。
 これに対して「ジミンガー」は全く意味のないというか、中傷レベルの罵詈雑言としか言いようがありません。
 
 よくよく考えれば、いやよく考えなくても、普通に考えれば自民党の批判は民主党の矛盾を突いているというコトぐらいすぐに分かりそうなもんでしょう。
 しかしどうしても民主党を応援したい人は、それがなんとなく分かっていても、民主党は正しいと言いたいのです。
 でもそれをまともに反論できない。
 だから「ジミンガー」と言って論点を全然別のところにやって、自民党を蹴落として相対的に民主党を持ち上げようといてるのでしょう。
 こんなの病としか言いようがありませんね。
 誰がなんと言おうともいま政権の座にあるのは民主党であって、日本の今の政治はその政府がどのような政策を打ち出すかが一番の注目点であるのですから、ここに自民がどうこうという点はあまり関係なく、政権政党である民主党がヘマをしたら、誰からだって批判されて当然なのです。
 むしろそれが正しく批判されないなら、民主主義政治の終わりと言ってもいいでしょう。
 
 民主党もマスコミも、ジミンガーの病から回復しなければ、それは政治をますます陳腐なモノにさせるしかならないでしょう。
 

平成22年1月28

 警察・検察の取り調べや起訴は別組織がやるべき

 今日はこちらのニュースを取り上げたいと思います。

 明石歩道橋事故で元副署長起訴へ…検察審が議決
 
 2001年7月、兵庫県明石市のJR朝霧駅と海岸を結ぶ歩道橋で、花火大会の見物客らが折り重なって転倒し、11人が死亡、247人が重軽傷を負った事故で、神戸第2検察審査会は27日、業務上過失致死傷容疑で書類送検され、神戸地検が不起訴にした明石署の榊和晄(かずあき)・元副署長(62)(退職)について「起訴議決」をした。
 昨年5月に審査会の権限を強化する改正検察審査会法が施行された後、同事故で起訴を求める議決は2度目で、規定により、神戸地裁が指定する弁護士が業務上過失致死傷罪で起訴する。最高裁によると、改正法に基づいて起訴議決され、強制起訴になるのは全国で初めて。
 
◆改正検察審査会法◆
 2009年5月21日に施行。審査員は選挙人名簿から選ばれた一般人。以前は審査会で「起訴相当」や、再捜査を求める「不起訴不当」の議決が出ても強制力がなかったが、改正により「起訴相当」の議決が2度出ると、裁判所の指定する弁護士が検察官に代わって容疑者を起訴する。「起訴相当」の議決は、審査員11人中8人以上の判断で出される。

 事件自体は、ああこんなのもありましたねというぐらいの記憶のモノで申し訳ないのですが、ここで注目すべきは、検察が「不起訴相当」とした事件について、一般人からなる「検察審査会」が「起訴相当」という決議を出し、そしてそれが法的拘束力を持って検察の意志とは関係なく起訴が確定した、というところです。
 簡単に言えば、検察の判断がひっくり返ったというコトです。
 またもうひとつ注目すべき点は、起訴する者が検察ではなく、裁判所が指定する弁護士が行うという点です。
 通常刑事事件においては、その事件を裁判所に訴えるのは検察に権利がある、というか検察にしかなく、事件の被害者本人でも刑事裁判においては自らが裁判所に起訴するのではなく、本人や家族に代わって検察が行うコトになっています。
 しかし今回の決定では、検察ではない弁護士が起訴をするというコトで、これは大変に珍しい、もしかしたら日本初めてのケースなのではないかと思います。
 
 この事件にの中身については、やえはどうこう言おうとは思いません。
 本当に副所長に刑事的な責任があるのかどうか、それをやえは判断しません。
 それは裁判所が行うべきコトで、やえ自身はコメントも特にありません。
 
 しかしこの制度そのもの、この法改正はとても良いモノだと思います。
 先ほども言いましたように、刑事事件に関しては基本的に検察しか起訴できないワケですが、しかし当然警察も検察も人間である以上罪を起こす可能性はあるワケで、その場合は検察が検察官や警察官を逮捕・起訴する形になるワケで、これはやっぱりちょっといびつな形ですよね。
 検察官や警察官は「職務に私情は挟まない」なんて言うかもしれませんが、しかしそんなコトを言ってしまえばどんな職業だってそんなの当たり前のコトで、それで通用するなら検察官や警察官の犯罪も起こるハズがないという理屈にまで飛躍しますから、そこまで人間というモノを性善説的に信じるコトはできません。
 
 そもそもだからこそ、三権分立などの「権力の分散」が現代社会には図られているワケです。
 もし本当に国家の統治者が聖人君主であれば、聖人君主の統治者が自らの判断で犯人を逮捕して、自らの判断で罪を決め、自らの判断でそれを執行すればいいのです。
 それが一番早いでしょう。
 無駄も少ないです。
 そう考えれば三権分立などはあまりにも非効率なシステムでしかなく、言い出したら民主主義や選挙なども、これほど非効率なシステムはないとしか言いようがありません。
 でもそれでも、現代社会がめんどくさい手順や、それぞれの権利権限を様々な人間に分け与えているという複雑なシステムを構築しているのは、どうしても人間には限界があると、全てを信じるコトは不可能だと、自ら認めているからなのです。
 神ならざる人間が社会を安定させるのは、このように権力を分散させるコトがベターであると、現代社会は認めているからなのです。
 
 そう考えたとき、もちろん今回の法改正によるこのシステムはなかなか良いモノだと思いますが、しかしもっと突き詰めるなら、やえは、警察(官)と検察(官)に対する捜査や起訴については別組織が行うのが適当ではないかと思うのです。
 こういうコトを言うと、なぜか「警察を信用していないのか」なんて言う人が出てきますが、しかしこれは警察や検察を信用していないというレベルの話ではなく、先ほど話したように「現代社会における権力の分散」による話からく考え方なのです。
 そして実際に今回のような、検察が不起訴相当と判断しても、法的拘束力を持つ形で起訴が決定し、またその起訴する者も検察ではなく弁護士が行うという事実が示している通り、権力の分散はやはり必要だと認めているワケで、そしてそれを徹底するなら、警察・検察とはまた別組織の捜査機関が必要なのではないかとやえは思うのです。
 そうすれば今回のようなこの事態も避けれたワケですしね。
 
 起訴した結果、裁判所がどのような判決を出すのかというのは、それは当然別問題です。
 起訴した結果無罪だったというのなら、それはそれでいいのでしょう。
 しかしそれを判断するのはあくまで裁判所であって、本来検察が無罪有罪を決めるモノではなく、しかし起訴しないコトには有罪になるコトは不可能であって、ここに多少のゆがみがあるのです。
 そしてそのゆがみが最も顕著になるケースというのが、警察や検察による事件の場合です。
 最近警察や検察の取り調べに対する可視化などの議論が盛んですが、それも含めて「別組織の創設」というのはかなり大きな改善につながるのではないでしょうか。
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、人間には限界があるというコトをまずシッカリと認識した上で、より公平なシステムの構築を応援しています。
 

平成22年1月26

 政治資金管理団体に土地がそんなに必要なのか

 なんだか今日の午前中、借りてるレンタルサーバーのサーバーがダウンしてたらしくて、全然アクセスできない状態になっていました。
 ぬんぬん。
 けっこう長い期間使っているサバ屋さんなんですが、あまり安いところでもないですし、そろそろ引っ越そうかなぁと思わなくもありません。
 ぬんぬん。
 当サイトは独自ドメインとっていますから、見てくださる方にはほとんど影響がないですしね。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 今日はちょっと小沢一郎民主と幹事長の土地について、ふと率直に感じた疑問について語ってみたいと思います。
 
 世間を大いに騒がせ、また全く真摯な態度を見せないために泥沼に向かっているとしか思えない小沢一郎民主党幹事長の土地などに関する政治資金の問題なのですが、この問題でやえが一番不思議に思うのが、小沢一郎事務所とその資金管理団体である「陸山会」が、なぜそんなにもたくさんの土地を持っているのかというコトです。
 政治資金管理団体の収支報告書というのは総務省のサイトに公開されていまして、陸山会もこのように誰でも見るコトができるワケですが、陸山会は土地だけでなんと11カ所も所有しています。
 正直これはちょっと持ちすぎと言わざるを得ません。
 
 やえは政治活動には一切土地は必要ないとは言いません。
 議員会館の事務所は狭いようですから、いわゆる「外事務所」と言って永田町界隈にもう一つ事務所を置く議員さんも少なくありませんし、また地元にも事務所は必ず必要でしょう。
 ですからそれなりの土地は必要ですし、小沢幹事長は「秘書の宿舎として」という釈明もしているようですから、まぁそれが本当ならとっても手厚い事務所ですねとは思いますが、おかしいとは言いません。
 でもそれでも11カ所はちょっと多すぎなのではないでしょうか。
 
 陸山会の収支報告書の内訳をざっと見てみますと、都内の赤坂や青山に事務所や駐車場や宿舎として7カ所、世田谷に宿舎として1カ所、また地元事務所と思われる盛岡市と奥州市に事務所が一カ所ずつ、さらに仙台市の青葉区に1カ所事務所として土地を持っています。
 仙台市になぜ土地を持っているのかやえにはちょっと分かりませんが、それにしてもなぜ都内にこんなに土地を持っているのか率直に疑問です。
 もちろん正当な理由でその土地を政治活動として利用しているのであれば、ダメとは言いません。
 言いませんが、少なくともやえの知っている限りでは、日本の国会議員としてはこれは異例すぎる土地の持ち方です。
 鳩山総理のような大資産家が、個人資産として土地などを持っている場合は多々あるようですが、政治団体や政治資金管理団体としてここまで土地を持っているというのは聞いたコトがありません。
 
 例えば先ほど例に出しました鳩山総理は、政治資金管理団体を「友愛政経懇話会」と言い、その内訳はこちらにあります(注PDFファイル)が、土地についてはまったく保有していません。
 献金の欄が二重線消しばかりでちょっと笑える報告書になっていますが。
 あと資産家として有名な政治家と言えば、前総理大臣の麻生太郎さんでしょうけど、その政治資金管理団体の「素淮会(そわいかい)」(注PDFファイル)も、土地は全く持っていません。
 ちなみに、小沢一郎の政治の師である田中角栄元総理の実子田中真紀子議員の政治資金管理団体(注PDFファイル)も、土地は全く持っていませんでした。
 やっぱり地元の事務所とは言え、ほとんどの議員さんは賃貸で運営しているのが通常のようで、小沢一郎幹事長のように土地も建物も所有をしているというのは、相当にめずしいコトだと言えるでしょう。
 やえは一度、この土地をどのように政治的に利用しているのか聞いてみたいです。
 
 そしてマスコミもなぜこの点を取り上げないのか不思議でなりません。
 例えばちょっと前までは、自民党の国会議員が料亭で会合するだけで鬼の首を取ったように大騒ぎしていたクセに、それ以上に不可解なこの土地問題を突っ込まないのはダブルスタンダードも甚だしいでしょう。
 料亭だって、やはり国の代表者である国会議員という立場の人が利用するにふさわしい場というモノもあるでしょうし、またたまり他人に聞かれたくない会話も多くするでしょうから、決して悪いとはやえは思いません。
 このようにキチンと説明がつくなら、小沢幹事長の多くの土地も納得できるというモノですが、この辺シッカリと解明するのもマスコミは今までの態度から責任があると言えるのではないでしょうか。
 
 政治にお金がかかるのはその通りです。
 やえは、政治家がいっぱいお金を持っているだけで批判するような中身のない、現実を知らないバカバカしい議論に与するつもりは毛頭ありません。
 だからこそ、このような不可解な、通常ではちょっと考えられない、想定外で異例中の異例な政治資金の使い方をしている小沢一郎民主党幹事長は、本当にキチンと正しく政治活動に利用しているのであれば、キチンとそれを説明してほしいと思います。
 そうであれば何の問題もないのですからね。